Sugarにくびったけ③
Sugarの一人称は自分の名前を少しだけ略したもの。
『モジャちゃん、こちらはSpiceくん。シュガのこと好きなんだって。だから、付き合ってあげることしたから。』
モジャモジャの知る限り一番若い恋人になる。
自分達より1つだけ上の男の子。
Sugarは眠そうなカエル顔、
Spiceは気怠げなカエル顔。
2人が並ぶと、背丈はおなじ。
ケロケロとした大きな黒い瞳が4つ並んだ。
モジャモジャが彼と彼女と向かい合った初めての日、干物のように痩せて乾いた3人の集いが出来上がった。
『ども。』
ミリタリージャケットのポケットに両手を挿したまま、Spiceくんと呼ばれた男が会釈する。
骨張って痩けた頬にぎょろついた大目玉。
伏しがちな視線の内奥にブラックホール。
その隣にいるSugarが、性別違いでもう一人現れたような印象だった。
『モジャちゃんも聴くでしょ○○○○○○○。あれの人ね、このひと。』
ビジネスタイアップもつくようになってから、そのまま人気が数年続いているバンドの名前。そこのボーカリスト。
個人的には、崇拝するアーティストの真似癖が目立つので好みでは無かった。
『シュガはあんまり聴かないけどね。若い子に人気あるんだよ。よくフェスとか出るし。』
これまでに伝統芸能の御曹司、作曲家、アートディレクターなどなどと交際してきたSugarにとっては、自慢にもならない立ち位置だと 強調しているのが解る。
173cmの高身長。モダンバレエで節々を柔らかく伸ばして育てた真っ直ぐな手足。
アトピーの跡の残る浅黒い肌。
ひねくれた角度の唇。
そこにつながる、痩けた頬。
Sugarは子供の頃からずっと、可愛い自分を褒められる事が趣味だった。
モジャモジャの生まれた団地の隣棟に唯一の同い年の女の子として父親の転勤を機にやって来てから、
5歳児のSugarとモジャモジャは、幼稚園帰りに毎日いっしょに遊んでいた。
共働きの親にほぼ放置され、年の離れた兄たちの部屋にある少年漫画誌を読んで対人言動を刷り込んできたモジャモジャにとって、
姉と弟に挟まれて専業主婦の母親に少女性を刷り込まれて育った華奢でわがままな美少女Sugarは、「オレが守るべきヒロイン」だった。
Sugarの住む側の棟に地元近所の暴力団が事務所を構えるため入居してきた時、彼女がこちらの棟にひとりで遊びに来ようとしてエレベーターに乗った際に 悪戯をされる事件が起きた。
それまでは毎日ジェニーちゃん人形で彼女とドラマ仕立てに女の子遊びをしていたモジャモジャだったが、
他世帯の大人たちの噂話からそれを知ってしまい、「なぜ自分はSugarを守らなかったのか」という呵責葛藤に貫かれ、道徳の指針である少年漫画における よくあるマインドが芽生えた。
修行して、強くなって、敵をとる。
アスレチック遊具の置かれている幼稚園の裏庭にSugarを連れ出し、砂遊びをする彼女をよそに、5歳の女児がヒーローマインドで肉体トレーニングを重ねる毎日。
敵は暴力団構成員。
やらねばならないのだ。それが男というものだから。
〜つづく〜
Sugarにくびったけ②
ヂッと、ひと回り。
フリントがホイールに弾かれる音に起こされる。
ひと呼吸後に澄み渡るナチュラル煙草の匂い。ペリックが焦げて縮む薫り。
コルクの燃える臭いにも似た甘み。
風呂上がりに窓を開けたまま眠りに落ちたもんだから、翌朝の霧雨に部屋は湿気ていた。
「ひと晩中起きてたなら、窓は閉めてくれてもよかったんじゃないかSpice。」
出窓に腰掛けて外を見つめている彼が、目を覚ましたモジャモジャの呼び声に少しこちらを見てアメリカンスピリットを咥え直す。
灰色がかった顔色に瞳の濁りが大きく澱み、ひと息ぶんも煙の幕がかかれば、より暗く 光を閉ざした。
Zippoライターの蓋を開けたり閉めたり。
真鍮のぶつかる音を立てながら、
『モジャちゃんはいびきがうるさい。』眠れないことを人のせいにしてくる。
これはSugarもたまにすることで、2人の言動における自分を建てたい意志の度合いはよく似ていた。
「このままSugarが夕方戻るまでいんの?今日パート出るから9時前にもう行くけど。」
モジャモジャは幼馴染の身の回りの世話をしながら、社会保険のために 知人の運営する蕎麦屋にパートに出ていた。
Sugarは人が信じられない。マンションに依頼する仕組みのハウスキーパーに信頼をおけず、自分に悪意を向けない人間がそばに必要だった。
十代の半ばから父親より年齢の高い権威者に女性として寄り添わされてきた彼女もいよいよ20代の終わりに近づくにつれてその需要も薄れ、当時の芸能不況の余波に、それまでの歩みを逐われ始めていた。
おのれ尊き誇りを折らずに少しずつ失脚していく彼女は、滅びの美しさを秘めながら、地に近づくごとに目線の高さが実年齢に追いつき、内心に頼りどころを求めていた。
情報誌の対談企画で出会った同世代の若者に『ぼくファンなんですよ』って言われたそれだけで。
Sugarは生まれて初めて彼氏を作った。
〜つづく〜